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今日の彼は確か非番ではなかったはずだが、
その痩躯を覆っているのは いつものあの黒外套ではなく。
周囲へ溶け込む必要でもあったのか、
丈こそ長めだがそれでもかっちりしたシルエットの
チェスターコートにマフラーを合わせており。
小さめの頭をくるむよにニット帽をかぶっていて、
ボトムもややダボっとした感のあるものを選んでいてのイマドキ風。
細い指先には弦を畳んだ偏光眼鏡を持っており、
裸のままポケットへすべり込ませる所作に妙に色があって視線が誘われたほど。
そんないでたちの愛し子は、相変わらず綺麗な子だとあらためて思う。
凄艶なまでの華やかさもない、しおらしさや嫋やかさもないが、
裏社会の人間たる鋭くも厳然とした冷酷と、
その若さが微かに匂う冷たい玲瓏とを漆黒の内に秘めたまま、
「…。」
さすがに、微妙で悩ましげな顔でいる。
安普請なアパートだから、扉のすぐ前に居たなら中での会話はほぼ聞こえただろう。
それどころか、虎の子くんが携帯をつないだままにしていたという手際の御陰様、
中也が聞いていたのと同様に、敦を相手にどういうやり取りが為されていたか、
しっかと把握してもいよう彼だと思われ。
「聞いていただろう? とんだ腑抜けになってしまったよ。」
気の抜けたよな苦笑を浮かべて そうと紡げば、
「……それは。」
口ごもってしまうのが、正直なもの。
唐突が過ぎたからか、それとも
日頃過ぎるほどに聡明冷静な太宰の見せた 思わぬレベルでの混乱ぶりに困惑したか。
それでも逃げ腰となっての視線を逸らすまでではないらしく、
師の発熱を憂慮するよな、とりあえずは安静になさった方がと言いたげな様子であり。
初心なネンネのような取り乱しようへ辟易したという素振りはない。
“…何でも出来て鷹揚だと、
相変わらずに思われているなら 相当に幻滅しただろうに。”
冗談抜きに太宰自身にも勝手が判らぬ状況なだけに、
いっそ その手も有りかなぁなんて、往生際悪くも思ってしまったものの、
「人虎から中原さんへ、
“太宰さんが芥川を嫁に出したがってる、お願い止めて”との知らせがありました。」
「…☆」
それはまたと、今度はこちらが二の句が継げぬ。
何とか踏ん張ってるように見えたけれど、
実はそこまで混乱していた敦くんだったとはと。
あらまあというお顔になったのを見やり、その反応で何とか安堵したものか。
「…。」
ニットの帽子と上着を脱ぐと適当に丸めつつ、
無言のまま部屋へ上がって進み入り。
卓袱台の前へまで至ると、
太宰の真向かいではなく、やや傍らへ腰を下ろして行儀よく座り。
目の細かいセーターに包まれた薄い肩を晒しつつ、
心持ち小首を傾げるようにしてこちらを見やるのは、お話どうぞという促しだと判る。
ほのかに伏し目がちになった辺り、
不遜ではなくの、むしろやわい懇願の気配を負うていて。
それと通じたことも含め、
これもまた再会叶ってから身につけた、互いへの呼吸のようなもの。
へつらうでなくねだるでなくの、微妙なやわらかさがこちらの感性にはくすぐったくて、
太宰にのみ限ってながら、
こちらの感情や感覚、勝手のようなもの、
さりげなく拾い上げ、それへ即した対応が絶妙に出来るのが、
その成り立ちを思うとちょっと切ないかも知れぬ。
“かつてならばどう加減されて添われても、
生意気だとか媚びられるのは不快だなんて、屁理屈言って殴っていただろうな…”
胸の内にて こそりと苦笑し、
やや伏し目がちとなった黒々とした双眸が瞬くのを何気に見やる。
この子が黒をまとっているのはポートマフィアなぞという組織に身を寄せたからで、
本人が死の象徴みたく思われているようだが、それは微妙に違う。
今でこそ、それに匹敵する殺傷力という火力を身につけもしたが、
当初はてんでポンコツで、
なのでとまとわせた、ある意味 保護色のようなもの。
他の多くへ紛れやすいようにと、
まだまだ幼かった彼に黒いマフィアコートを与えたのであり、
“…いや、本当にそれだけだったろうか。”
自分のお古という格好で、それで自分のものだと彼自身にタグをつけたかったのかも?
無意識下で、どれほど自身に正直なことをしていたんだろうねと苦笑が洩れる。
そう、かつての自分は、
「かつての私は、何につけても見通せるのが味気なかった。」
だから、人がその生き死にを間近にしている、
その身でその才でもって渡っているよなマフィアの世界なら、
生きているのだという実感により近く接することも出来ようかと思ったのだけれど。
結果は惨憺たるもので、しかもそんな私を最も理解していた友も失った。
人を救う人間になれと示された指針に従わねばと、裏社会から飛び出して。
「今でも様々な困難のその先を、ついつい見通してしまう身に変わりはないながら、
諦めてしまっては芸がないと、何とか風穴開けてやろうって、
小賢しくも踏ん張っては逆らうことを厭わなくなった私だが。」
その顔を直視するのはまだ無理と、
胡坐をかいてたその足首辺り、
何とはなく指を搦めて手遊びしていた自身の手を見下ろしつつ、
どうしたものか、キミにだけはそうはいかなくてね。
肩を落としたまま、ぽつりと呟いても、
「……。」
芥川は依然として黙ったままで、
まだ言いたいことがあるのだろうと思うのか、聞く態勢や気配を崩さない。
そうだね、そう躾けたよね。
自分が自分がと出てくれば不遜だ生意気だと殴られるよと。
懇切丁寧に叩き込んだ行動さえ完璧にこなせぬうちは、
自身の見解の主張など早いって。
そうやって黙らせたのは自分だというに、今は
如何なってしまうのか、キミが誰を何を選ぶのか、
それを、そんな将来を見通すのは、身がすくむほど恐ろしい。
だったらいっそ、自分の手で、
力づくで決めてしまった方が打撃も小さいのではなんて、
小賢しくも傲慢なことを思ったのが
この無様な慌てようのそもそもの始まりだったのだし…。
「…あのね?」
あのね、例えばこれといって話すこともなく居るときって
内心でそわそわしていて、もしかして自分を責めてない?
これも自業自得なのだろうけど、
自分といては退屈かもしれぬなんて思ってないか、
敦くんに負けず劣らす自己評価の低いキミだから、
そんな風に感じて心休まらないかもって思った。
「私だけこんな恵まれてていいのかなって、
何だか申し訳なさ過ぎてね。」
再び間近に添える身となったはいいが、
どう触れたらいいものか、どう抱きしめればいいものか。
女性遍歴があったって、そんな浮ついた代物なんて一切役には立たぬ。
だって、この彼へは駆け引きなんてするつもりなぞなかったから。
怖がりはしないか、我慢させてはないか、
緊張しているだけだろか、畏縮しているのではなかろうか。
いっそ怖がられても良しと、
善しにつけ悪しきにつけ、思うところをそのまま晒してもいいのじゃないか?
甘受するしないも彼の意思に任せればいいのでは?
だが、理解に苦しむと、包容力の限界だと困らせるのはよろしくないし、
だからといって突き放すなんて もはや出来はしない。
もう二度と手放すものかと思えばこそ、
これでも内心では様々な葛藤に焦りもしており。
その挙句がこの破綻とあって、、
此処に虎の子がいたらこうつぶやいたかも知れぬ。
『賢い人って実は空回りしやすくって、結構不器用なのかも。』
一周まわって何とやらって言いますしねぇ。
「………。」
沈黙の間合いを何合か、息継ぎしながら見送って。
芥川がやっと口を開いたのは、
窓の外、強い風が思い出したよに吹き抜けて、
古めかしい拵えの窓枠ががたがたっと揺れたの、
ぼんやりと眺めていたその間合いの内のこと。
「確かに、」
精緻に整った白い顔があまり動かなんだのは、
彼なりにようよう考えて物言いをまとめていたものか。
「それを思う時もありはしますが、それを言うなら僕もまた、
静かな平穏に浸れる至福、自分だけが堪能していていいのかと思っていました。
面白みのない自分へ、大人の忍耐、否、余裕でもって共に居てくださるものかと。」
それは流麗に一息に、思うところをそうと紡いでくれた彼で。
「…っ。」
何か言いたげにひくりと太宰の口許が震えたが、
見ていつつも流して言葉を紡ぎ続ける。
「ですが、人虎に言われたことがあって。」
彼奴も他者から聞いた話の受け売りだそうですが、
好いたらしい相手へ どんなささやかなことでも新鮮なのはせいぜい最初の数カ月くらい、
季節が一回りしようものなら、目新しいところも無くなって、
共に居たって何も語らぬ時間が長くなる時期も来るが、
「勘違いしちゃあいけないと。」
共に居て窮屈じゃあないなら、
ついつい気を抜いてしまうほどというならそれは、家族のような安定を得たってだけのこと。
これでもかこれでもかとイベントや何や、目新しいものを用意しなくともいいのだと。
「…家族のような?」
「はい。」
詰まらない奴だと思われちゃあいないかなんて思うのは杞憂で早とちりだ。
不平を並べられるとか、離れてゆくのならともかく、
そうじゃあないってことは、安寧を感じられたからだろう。
相手の本心まではそりゃあ判らないけれど、
お邪魔じゃないかとか所用があってとかで傍からちょっと離れることはあっても、
そんな“出先”から戻ってくる場所にされているはずで。(…それは浮気と紙一重じゃないのか?) 笑
だってのに自分で勝手に焦るのはそれこそ相手へも失礼だよ、と。
「与謝野女医から言われたそうです。」
「…というか、あの子、中也と付き合い始めてからまださほど経ってないだろうに。」
もうそんな不安を抱えてたんだと呆れれば、
自分だって似たようなものだろうと、
此処にいない中也の呆れたような声がした気がして。
それへのフォローか、芥川もまた言を足し、
「人虎がそうと話したのは、
ウチで時間つぶしをしていて、
暇つぶしの用意が何もなくて退屈ではないかと訊いてしまった折、でしたが。」
それでもそのようなことを言わせたほどには、
らしくもなく及び腰になっていたのでしょうねと苦笑をし。
そのまま ついと目を上げて、
「僕の覚束なさから、不安な思いをさせてしまったのですね。」
そうと言う。そんな彼なのへ、
あ、ほら、それがよくないとすぐさま指摘すれば、
人のこと言えますか?
ううう。
間髪入れずにやり込められ、口許歪めた師匠だったのへ、
くすぐったげに目許を細めてふふと笑った芥川で。
楽しげだが、それと同時、その儚さに胸底を柔くつねられた気がして言葉に詰まる。
ああ、いつの間にかこういう顔も出来るよになっていたのだね。
なんて愛いことかと、感慨深くも身に染ませておれば、
「人虎にいつも癒されるのは、屈託ない接し方をしてくれるからでしょうね。」
礼儀を知らぬ口利きも、腹に何もないと判っておれば苦笑で流せますし、
無防備な寝顔の何とも幼く稚いところには、呆れるより癒されておりますほどで。
かようにその身をもって教わりはしても、
遠慮のない付き合いようなどと、慣れがないからなかなかに難しい。
警戒するのはもはや定石、
それとはベクトルこそ真逆で信頼しまくった間柄であれ、
それならならで不足の無いようにといちいち身構えてしまう悲しい性分なのが恨めしい。
そんな態度で居られては気が休まらぬかも、と、自身も案じていた自覚は芥川にもあって。
「僕の側でも随分と舞い上がっておりましたし、」
「…うん。何となくそれは察してた。」
力なく落としたままだった肩を、
ふふと笑って少しは持ち上げる太宰であり。
多少はこなれて来ていても、
人前で腕取って引き寄せたり、何にも言わないまま抱きしめてたりすると、
緊張が取れなくて、肩や表情がぎこちなかったりするものね。
「ですが、貴方の頼もしさにいつも支えられておりました。」
「…そんなの、錯覚しているだけかもしれないよ?」
現にこうまで情けないと、再び肩を落として見せれば、
「そうでしょうか。」
特に張ってはない声が、
それでもさくっと小気味よく、太宰の抛った一言を塵とする。
「先程、虚洞だなんて仰せでしたが、
こんな風に僕の処遇についてを懸命に思ってくださる人が、
自分勝手な虚洞なお人だとは思えません。」
「それは、思わぬ間合いでの打撃を受けたくないから、先んじて策を…。」
「だったら僕なぞ突き放してしまえばいい。
かつての折檻が、幹部の気に入りというやっかみを生まぬよう、
せいぜい憐れまれておればいいと取ってらした態度だというのは、
後日に中也さんから聞きました。
褒めることで甘やかしては其処から伸びなくなろうからと言い訳をなさってたことも。」
「…そんなのあいつの憶測だよ。私が話した覚えはない。」
「ならば尚のこと、同じようになさればいい。」
お前とはもう縁切りだと、突き放してしまわれればいい。
マフィアと探偵社、居場所も離れた今、難しいことではありますまい。
「……出来るはずないじゃないか。」
いきなり呆れられて離れていかれるのが打撃だと言っている時点で、
失言もいいところなわけで。
遅ればせながらそれへと気づいて、こそり唇を噛んだ太宰へ、
「僕を幸せにしなければなんて、懸命に困っておいでの人。
それって、うつろな人が願うことでしょうか。」
誰から訊いたのだったろか。
この男があの組織から出奔したのは、親友の遺言を果たすためだと。
世界の行く先がその悧巧な頭には総て見通せて、
自身が生きている意味さえ見失っていた少年へ、
人を救う側になれと言い残した織田の言葉を、
太宰は完遂すべく裏社会から出て行った。
「貴方のたぐいまれなる聡明さに、僕ごときの慮が敵うはずもなく、
叡智の深みが為す先見、この愚鈍さでは到底判ろうはずはなく。
なのに無下には出来ず、結果 負担に思われると仰せなら、
寂しいことですが離れることも考えましょう。ただ、」
どうして、貴方の傍に居ると幸せになれぬと断じてしまわれるのでしょうか?
「僭越ながら、与えるものがないとそわそわしていたのは貴方の側なような気がします。」
「…っ。」
貴方だって幸せになっていいはずでしょう?
何の罪滅ぼしか知りませんが、いつもいつも孤独で居ようとなさる。
どうして貴方の傍に居ると幸せになれぬと仰せなのですか?
「貴方ほど心豊かな人を僕は知りません。」
思考が柔軟で想像力が豊かなだけじゃあない、
思いやりの気持ちもしっかとお持ちだ。
「それを表へ呈さぬだけで、
実はこれほど、迷走なさるほどに選択肢を持っておられる。」
こうして姿を拝しているだけでも、
身のうちが温かくなる、何でも出来よう気がしてくるのに。
何故だか、踏み込ませぬよう頑なになられるのが
まだまだ信用されておらぬかと歯がゆいばかりで。
「第一、僕や貴方がそうそう長生きできるとは思えない。」
「…っ!」
はっとして思わず顔を上げた太宰へ、それこそ真っ向から漆黒の双眸が見据えて来。
コトが起きれば死線すれすれという修羅場へ投じられる身、
それを求められるほど強い駒になれたこと、
誇りに思っているほどですがと、淡々と紡いだ同じ口が、
「それでなくとも いつ途絶えるか判らぬ破天荒な生き様なのです。
あなたが常にそうであるよに、やりたいことやって何が悪いのでしょうか。」
「芥川くん?」
射干玉のような深みのある黒がたたえられた双眸が、
太宰の鳶色の瞳を真っ直ぐ見据える。
「僕がそれを望んでいいのなら、
僕は他の誰でもない貴方と幸せになりたい。」
むずがるようなこの顔は、ああそうだった、あの時の顔だ。
敦くんが中也へと食い下がってたあの日、
再会果たしてもどこか空々しい態度ばかり取っていた自分が白々しくもかけた声へ、
彼の側からも思い切って近づいて来てくれた あの時の。
『僕はいつまで、あなたから打ち捨てられた遺児であればいいのですか?』
そうだ、そういえば、そこは昔から、
こちらの機嫌や視線に振り回されてなんかない、
ちゃんと自身の意思を口にできる、この自分と真っ向から向かい合える子だった。
だから、覚えが悪いとさんざん殴る蹴るへ運んでいたのであり、
不遜という言葉を覚え、多少は口応えが減っても、
再会してから身の回りに手を掛けてくれるようになっても、
こちらを卑屈にも伺うということはなかった子だった。
「…私のものになってくれるのかい?」
「ええ、」
望むところですと、続けようとして見上げたところ、
いつの間にか背へと回されていた腕にぐいと上体を引き寄せられて。
頼もしい懐の、甘やかな匂いにくるまれながら、
え?と見上げた視線を、やわらかな眼差しが受け止める。
自信なさげに俯いていた人はどこへやら、
そのまま そおと唇重ねられ、
頼もしい双腕に、ぎゅうと閉じ込められかかる。
これが答えだというのなら、
なんて幸せなことだろうかと、総身がほわり温まって……
ああ、何だか熱がぶり返した気がする。
それはいけない。休んでください。
双方ともに赤くなったまま、
白々しくも定型の言いようを連ね、だがだが、
どれほど名残惜しいか、なかなかその身は剥がれなかった二人であった。
~ Fine ~ 18.01.09.~1.28.
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*やっと終わったけれど、
終わってみれば 何だか物凄く頭の悪い話になっちゃった気がするぞ。
書く人がおバカだからしょうがなかったのかなぁ?(おいおい)
別にね、こちらのお二人は
何もいちいち “そういう方向”へまで至らなくともいいのではと
思わないではなかったのですが。
ただの仲良し、ズッ友でもいいんじゃないかって、
そういうのも禁忌的でいいかもと思わなくもなかったんですが。
じゃあ先々でどうするんですか?
嫁さん貰って温かい家庭コースですか?ってな声も出るやもしれぬ。
そんな風に、誰かのものになってしまう未来が来るくらいなら
せめて私の納得のいく形にとっとと運んでくれという、
そういう気持に逸ってしまった太宰さんになっちゃって。
あれれェ?という戸惑いから話がどんどんと脱線、もとえ、
何だか妙な太宰さんになっちゃったという…。(猛省…)
敦くんが相手だと頼もしいお兄さんですのにね、
芥川くんを前にすると何でかこうなるから困ったもんです。
もっとカッコいい太宰さんが書きたいよぉ。
やっぱ、もーりんさんは ケル・ナグールな話だけ書いてればいいってことかなぁ?
ボーナスステージへvv

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